健全な揺り戻しと、らせん階段
昔の自分と、今の自分とを繋いでみたとき、どんなイメージが描けるでしょうか。
自分が辿ってきた道のりを振り返って、最近考えていることです。
一般的に「成長」と言われるものを図にすると、高くなっていく棒グラフだったり、右肩上がりの曲線だったりで表されることが、多いかもしれません。
数値化が簡単な指標(成績、売上、人数など)であればある程、そういうイメージが合う気がします。
でも、人というものの成長は、当たり前ですが、そんなに単純ではありません。今の自分自身に至る道が、迷いのない一本道だったと言える人って、僕はほとんどいないと思っています。
紆余曲折の大きさに差はあるにしても、いつも、誰でも、それなりの迷いや、失敗や、やり直しの中で、ふと気づいたときに、少し成長したかな?と感じることの方が、多いんじゃないでしょうか。
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僕は、自分の興味や考えが、定期的に思いっきり方向転換します。全くの逆を向くわけではないんですが、ベクトルが、弧を描くように、別の方向に曲がっていくんです。
そして大概、曲がりきった後に、ふと我に返って「あー自分変わったなぁ」と気づく。
例えば、就職活動前は、海外ビジネスや、今で言う社会起業のような会社に興味がありました。でも結局は色々な縁もあって、国内市場のみをターゲットとした、カタめの教育産業の会社に就職。仕事に慣れてくると、「このままいくのも手かな…」と思ったことも、一度や二度ではありませんでした。
それでも9年が経過して、少しずつ蓄積した違和感や、自分の成長が止まっていることを認めたときに、再びもう一度、自分が本当にやりたいことをやろう、と決めました。社会人になってずっと見えていた世界が、また変わりました。
昔は、コロコロと考え方が変わっているようで、一貫性のない自分が嫌でした。自分では、そこまで飽きっぽいつもりは無いんですが、結果だけを見ると、色々揺れまくっている。
でも最近は、自分が変わっていくことを、1つの前提にしています。「変わらずにいることの方が難しいから」と、割り切りました。
人は変わる。むしろ、変わることができる。
過去の自分を反省することはありますが、それまでの自分がいなければ、ここで変化している自分はそもそも存在しない、というふうに今は考えています。
(これまでの自分がちょっとでも欠けていたら、今ここにはいない)
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1人の人間の中には、たくさんの人間がいると思います。自分で把握している自分なんて、ほんの一部です。自分の中に多様性があるからこそ、生きている内に、揺り戻しのようなことが普通に、何度でも起こる。
揺り戻しがないということは、自分の中に多様性が無いからかもしれない。ある意味では、揺れるということは、とても健全なのだと思います。
だから過去と今を繋ぐ成長線は、よくあるグラフのように二次元的なものではなくて、いびつな『らせん階段』を描いているんじゃないか。これが、過去の自分も振り返って思う、僕の成長のイメージです。
それはどれだけいびつな形であっても、『らせん階段』です。中心に支える柱があれば、また近いところに戻って来れます。そして戻ってきたときには、ほんの少しだけ、上にあがることができている。
下がってしまうのは、支える柱を見失ったときです。だから、柱だけは必要。そしてその支柱は、自分が本当に好きなことや、好きな人や、好きな場所にしか、無いんじゃないでしょうか。
健全な揺り戻しを、素直に受け入れること。
成長の『らせん階段』の、支柱になる部分を見失わないこと。
自分はこの先もまだまだ変わりそうな予感がしているんですが、それを楽しめる自分自身でありたいと、強く思っています。
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