多様性と最適化
「この会社、なんだか同じような人がたくさんいるな…」
自分の会社や取引先で、こんな感覚を覚えることが、たまにあります。仕事もし易いし、たぶん悪いことではないんだろうけど、何かちょっと違和感…。
同じように思った経験のある方は、いるのではないでしょうか。
最近、その違和感の正体を探っていて、ある考えに至りました。
それは、チームのマネジメントも仕事の方法も、多様性と最適化のバランスが、実は大事だということ。そして、そのバランスを取ることの、難しさです。
仕事というものは、最初から、すぐに出来るようになるものではありません。誰だって、0ベースで取り組む瞬間がある。皆そこからそれなりの時間をかけて、何度も失敗しながら、人から学び、自分なりのスキルを磨き、経験を積んでいくものです。
だからやればやるほど、仕事の方法は、成功体験を中心として、自然に最適化されていきます。要は、効率が上がり、生産性が高くなるのです。
そしてこれが、「仕事が出来る」と認められるための、1つの基準にもなっています。
どれだけ仕事を、最適化出来ているか。クオリティとスピードを高めて、自分の描いたゴールへと至っているか。もちろん、結果が伴っているか。
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同じことは、チーム(組織)にも言えます。仕事は「何をやるか」「なぜやるか」の問いが大切だと思っていますが、その先にあるのは、「誰とやるか」「どのようにやるか」。同じことをやっても、成果が全く異なります。
一度成功できれば、それを共有したメンバーは、次も、別のことをやるときのベースになりやすい。これは、悪いことではありません。阿吽の呼吸で仕事が進んでいくのは、スピードが出て効率的だし、とても気持ちがいいものです。
そもそも基本として、何らかの同じ目的を共有出来るから、人は同じ集団に属して仕事をしています。それが古くからある組織であればあるほど、そのカルチャーというものも確立されています。そして、それに合う人材がマッチングされる。長く居ることで、カルチャーの影響を受けて、さらに同じような思考を持つ人が揃っていきます。
そして結成されたチームは、成功を共有することで、どんどん最適化されていき、仕事のスピードは上がり、ますます生産性を高めていくことが出来ます。
ところが、その最適化が進み過ぎると、別の問題が起こります。方法もメンバーも多様性を失って、均質化していく、という現象が起きるのです。
均質化は、効率化には貢献してくれますが、柔軟な変化には貢献できません。むしろ、思考の硬直化が、それを阻害してしまいます。
だからこそ、どこかのタイミングで、『狙って』その最適化を壊してみる工夫が、必要になってきます。
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冒頭の「同じような人がたくさんいるな…」という状態は、最適化が進んでいるという意味では良くても、均質化し過ぎて、変化に対応できなくなっている状態かもしれません。
どこかで異質なものを入れて、多様性を持たせないと、いずれ仕事もチームも硬直してしまいます。
そして、その変化の必要性は頭で分かっていても、実際はものすごく大変で、受け入れるのが面倒なのです。
自分自身も、9年かけて大阪で積み上げ、それなりに最適化された仕事内容・チームの中にいる状態から、抜け出そうとしています。まだ着地点がはっきり見えている状態ではありませんが、確実に動きます(宣言。)
だから今は少し引いた目線で、これまでの成果を見ることができるのですが、やはりここ数年の自分の仕事環境に、多様性が無くなっていた部分は大きい。そしてその状態に、薄々気づいていながら、放置していた自分も確実にいました。
あのままいっていたら、ちょっとヤバかったなって思います。
改めて思うのは、この2つ(最適化と多様性)のバランスのコントロールは、やはり相当難しいんじゃないかということ。
けれどそれが出来ているものが、モノも人も組織も、世の中に残っているんじゃないかということです。
動き始めた自分を止めずに、このバランス感覚を磨いて、生き残っていきたいと思います。
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日本の良さは、海の外からわかる 2
定着した感のある「インバウンド」現象。
先日のブログで、日本には、海外の人にオリジナルの体験が提供できる、優れたポテンシャルがあるんじゃないか…という話を書きました。
今日はもう少し、僕がイチ日本人として、実際に外から見たときに気づいた経験を、書いてみたいと思います。
実は10代の頃、僕は、日本が好きではありませんでした。
今思えば、取り立てての理由は無かったように思います。ただ、何となくだけど、閉鎖的で、排他的なんじゃないかと感じていました。
皆、本心を隠して、空気ばかり読んで生きてるし。ニュースはひたすら暗いし。バブルの夢を、いつまでも追い続けてるし。
仕舞いにはどうやら、10年が失われたらしい。僕の10代だけではなく、皆、その時間を生きてたのに…。
でも一方で、この先も続くかのように、目の前の日常は続いていました。
色々な大変なことを、何とかするのはどこかの誰か。自分は多少の辛抱をしながら毎日を生きている方が、実は楽だということも、どこかで思っていました。
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大学時代の3年間を武道に熱中することで、少しずつ自分の考え方が変わったのですが、大きな転機は、大学3回生のあとに休学して、海外を一人で旅したときのことです。
行ったのは、アジア6ヶ国と、南米4ヶ国。1年の休学といっても、日本でアルバイトをしたり、就職活動(当時は4回生になる前の冬くらいからが一般的)をやったりの日々。実際に日本を出ていたのは、合わせて5ヶ月弱くらいでした。
そこで知ったのは、月並みですが、自分がいかに恵まれた環境にいたかということ。
何よりもまず突きつけられたのが、「自分が学生の身分で旅行できるのは、世界にある格差経済の、恵まれた側に居たから」という事実でした。
円で稼ぎを得られることが、どれほど恵まれているか。日本のパスポートを持っていることが、いかに海外で有利か。 そして日本はどれだけ、豊かな国だと見られているか。
また、自分が自分自身や日本のことを、全く説明できないこともショックでした。
よく聞かれたのは、家族のこと。これは必ず聞かれます。どこにいるのか。何をしているのか。なぜお前はここにいるのか。
お前は、音楽は何を聞くのか。その本には、何が書いてあるのか。
そして日本のこと。どんな社会か。物価は。宗教は。
でもどれを聞かれても、まず何と答えたらいいか分からない。自分で分からないことを、片言の英語で人に分かるように説明するなんて、不可能です。
そうかー、知りもしないのに、日本を嫌いだったんだなぁ。日本のことも自分のことも、もっと知っとかんといけんよなぁ。
このときに1つ、自分のスイッチが切り替わったように思います。
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確かに、海外は刺激的で、予想外のこともたくさん起きて、旅をする分には楽しかった。特に人のエネルギーという面では、日本は、成長途上にある国に全く及ばないと思います。
けど、一方で感じたのは、日本という国で生み出されるモノやサービスの、クオリティの高さ。そして繊細さ。例えば、色彩感覚や味覚などにおける日本人の繊細な感覚は、海外で再現するのは、ものすごく難しいだろうと思いました。
この経験は10年も前のものですが、そのときに感じた日本の長所は、今も同じように、海外に行く度に感じます。
前にも書きましたが、今の日本は、本当に過ごしやすい国です。モラル意識が高く、治安が良い。食べ物も美味しいし、インフラも整っている。
「おもてなし」に表現されるようなサービスの質が、ものすごく高い。
そして、他国が何十年かけても真似できないようなものを、たくさん持っていると思います。
東日本大震災のとき、世界が日本を見て、何に驚いたか。
電車が動かない駅で列を作って並ぶ人々の写真が、中国では「衝撃的」として新聞の一面に載りました。そんなことが一面になることが、逆に日本人から見れば衝撃的だったのを覚えています。
僕らから見れば「そんなこと」です。でも、自分たちにとっては「そんなこと」でも、世界が十分驚くだけの価値が、実はあったりします。
(これは、地方創生の問題にも言えますし、自分自身の生き方にも言えます。評価とは、相対的なものですから。)
自分たちに脈々と受け継がれたきた良いものを、一つ一つ棚卸しする、そして発信することに、これからを生きる大きなヒントがあるのではないかと、思っています。
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Twitter @masashis06
https://twitter.com/masashis06
つい最近、ブログに追いかけて、Twitterでの発信も始めました。
(https://twitter.com/masashis06)
まだ正直、あまり使いこなせてはいませんが、Twitterが思っていた以上に情報収集力の高いメディアになっていることに、実は今更ながら驚いてます。
まず意外だったのが、実名(or ほぼ実名)で登録している人も、結構多いこと。僕の勝手なイメージだったのですが、Facebook=実名、Twitter=匿名。リアルと離れたところで、ちょっとしたことをつぶやき合っている場だと思っていました(たぶん、2010年くらいのイメージ。)
もちろん、元々の手軽なコミュニケーションツールの側面も健在なのですが、一方で、オフィシャルなニュースや記事の、シェアツールとしての側面も、かなり強くなっています。
フォローの仕方によって、自分の興味のある話題が、リアルタイムで流れてくる。追いかけていなかったメディアの記事が、飛び込んで来たりする。絶対に会うことのなかったような人と、リアルで繋がることもできる。
めっちゃ便利!刺激も多い!
ちなみに、僕がアカウントを取得したのは、2011年3月。東日本大震災の直後でした。目的は、一向に集まらない現地の情報を、何でもいいから収集するため。
仕事と直結したところで、資材の調達先に宮城や茨城があったため、とにかく情報が欲しかったのですが、現地はそれどころではない状態。数日間はほとんど情報が入って来ない中、Twitterから投稿写真を辿って現場の様子が分かる、ということも実際にありました。
しかしその後、公式な情報が入るようになると、僕の関心から徐々にTwitterは外れてしまいます。当時は、企業活動としては、まだまだオフィシャルなツールとしては浸透しきっていませんでした。
またSNSとしてはその後、実名登録で情報の精度が高いとされたFacebookが大きく伸びたこともあり、僕のTwitterアカウントは、発信に使うこともなく、完全に放置されている状態になっていたのです…。
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震災の時に、Twitterが安否確認のツールとして活躍したことは有名です。情報インフラとしての価値が見直されたTwitterは、機能改善を重ねて、しっかりユーザーの数を増やしていたんですね。
(ただ、いまだに黒字化はしていないようですが…
http://news.livedoor.com/article/detail/11173131/)
公的な情報を発信する側も、顔が見えるような立ち位置を取ったり、ユーザーと繋がる工夫が今もどんどん生まれています。
これは結構、もったいないことしてたかも…。でも後悔しても仕方ないので、これから色々試してみようと思います。
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