過去と未来をつなぐ。

'83年生まれ ♂ の雑記帖。思ったことは、自分の言葉で書き留めとく。

『人』の時代。

少林寺拳法」という武道を知っているでしょうか?

 

幼い頃、僕は体が小さくて、気も小さくて、しょっちゅうケンカで泣かされているような、とても "ひ弱な" 子どもでした。

見かねた親の勧めもあって、武道を始めることにしたのですが、そこで出会ったのが、少林寺拳法でした。

根性があるとは言い難い自分が、何故かこれにハマります。力の差を、護身術のスキルで埋められる経験が、単純に嬉しかったのかもしれません。最後は大学で部活としてやって、体力もメンタルも、自分の支えの大きな1つになりました。

 

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その少林寺拳法は、敗戦の日本を立て直そうと、「気骨ある若者の育成」を掲げた人が始めた、日本発祥の武道です。なので歴史は70年ほど。

ちなみに、よく中国の少林拳と混同されますが、それとは別物。少林サッカーも、別です。笑

 

創始者は、戦中戦後から、高度経済成長期の日本を生きた人ですが、言わば圧倒的にモノが必要だった時代。

その時にあえて、先を担っていく「人材の育成」に目をつけていました。『人、人、人、すべては人の質にある』など、今の時代にこそ生きてくるような言葉を、色々と残しています。

実際に、武道を通じて人が育て合う仕組みが、少林寺拳法には自然に埋め込まれていました。社会に出て仕事をして、普通に役立ったものもあるので、機会があればまた紹介しようと思います。

 

前回のブログに書きましたが、僕の今一番関心があるのが、人材に関わる分野です。

(「生き生きと働いている、人が好きだ」)

自分がそうしたところに少しずつ興味を持っていったのは、もちろん仕事を通じて得た経験がきっかけになっていますが、こういう武道の影響を受けたのも、あるかもなぁと思うこの頃です。

 

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特にビジネスにおいて、人材に関わる分野は、この5年ほどで大きく変化してきています。

 

新しく生まれたネットワークにより、人と人が繋がりやすくなったこと。情報通信のインフラが整ったこと。仕事によっては、会社に出て働く必要が、必ずしも無くなったこと。社会構造が変化して、より人の質と仕事の生産性を考慮した、マネジメントの必要性が高まったこと。

 

特にICTの分野では、新しい技術を使った人材ビジネスが、HR(Human Resource)テックとも言われ、注目が集まっています。先日、Microsoftが、ビジネスSNSのLinkedInを262億ドル(2.8兆円)で買収したのには、驚いた人も多かったのではないでしょうか。

情報技術が進んだことによって、人の働き方は今、変化の局面を迎えています。

 

とは言え、現実的にこの動きが進んでいるのは、ICT関連の企業を中心に、まだまだ限定的な部分が、かなりあります。

古い業界では、従来型の雇用システムの中で、閉塞感を感じながら働いている人が、多くいるのも現実です。人材の流動化が進まず、情報も閉ざされていて、結果的に、不幸な労働のマッチングが多い。

これは求職者側だけでなく、求人側にとっても言えます。雇用してみたものの「違った」「辞められた」ということは、求人側にとっても痛手。双方がもっと積極的に情報をシェアして、結果どちらも幸せになるような仕組みが、必要だなと考えています。

 

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HRでの新しい技術やサービスは、人が幸せになる働き方を、実現するためのツールです。今は過渡期なので、問題が起こることも色々とありますが、間違いなくそこを目指した動きに、なっていると思います。

 

あとは皆が情報をシェアできる環境を、もっと整えていくこと。やれることは色々あります。突破口もありそうです。

 

新しいツールを使って、少しでも皆が幸せに働く役に立てるんじゃないか。キレイごとみたいですけど、僕は普通に、今そう考えています。

働く1人1人こそが、社会を変えられる時代になっているのですから。

 

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生き生きと働いている、人が好きだ

生き生きと働いている、人が好きだ。

 

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ワークライフバランス』という言葉が、すっかり浸透してきました。ですがこの言葉の、実際の使われ方に、僕は「?」と思うことがあります。

元々『ワークライフバランス』は、「仕事と生活の調和」を意味しています。日本でも、内閣府が出した2007年の憲章に、はっきりと書かれていますね。(http://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/20barrier_html/20html/charter.html

 

でも実際には、この『ワークライフバランス』という言葉、どんな場面で使われているか。

人によって色んな解釈をされていますが、結構多いなと感じるのが、「仕事はほどほどに」「仕事と仕事以外(余暇)の区別を明確に」といった強調のされ方。調和ではなく、『ワーク』を『ライフ』から切り取るような文脈で、語られていることがあるように思います。

あるいは、『ワーク』と『ライフ』を、対立相手として。

ちょっと残念です。

 

もちろん『ワーク』は、食べていくための稼ぎを得ることが、基本です。でも同時に、お金を稼げるということは、何かを社会に提供しているから対価を得られる、ということでもある(人を騙して稼ぐ、という手段は別ですが。)

マズローの欲求段階にもありますが、社会の中で、自分の存在意義を感じていたい気持ちは、人が元々持っているもの。加えて、現代では多くの人が、『ワーク』に、自分の人生の、かなりの時間を投じています。

『ライフ』を充実させることと、『ワーク』を充実させることは、無関係にはなり得ないと思うのです。

 

僕は、1日の中で『ワーク』に一番時間をかけているので、『ライフ』の中心に、普通に『ワーク』があります。同時に、家族のことも、趣味の写真や旅行や読書やお酒(笑)も、すべて『ライフ』の中に混在しています。

今の『ワークライフバランス』という言葉は、どこか本来目指すものと逆に行きつつあるようで、気になっています。

 

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9年大阪で働いてきて、たくさんの人に会い、たくさんの仕事をしました。

そして、僕がワクワクしながら仕事をするとき、そのそばには、必ずワクワクしながら、生き生きと働く人の存在がありました。

 

そこには、会社の規模とか関係なく。

壁に当たるたびに、何とかそれを実現しようと協力してくれたり。

納得のいくまで、良くしようとしてくれたり。

ただただ一緒にお客さんのことを考えたり。

 

そんなことを、楽しそうにする人が、世の中にはたくさんいるんです。

 

 

正直に書きます。

僕は、働く人が好きなんですね。生き生きと働く、人といるのが。

 

今は出版社で、ものづくりのディレクターのようなことをやっていますが、最近一番興味があるのは、人材関連の分野。特に人と人、人と仕事のマッチングに関心があります。

 

僕のベースに今あるのは、タイトルに書いたこの気持ちです。気づいてしまったので、これからはもう隠さないことにしました。

 

生き生きと働いている、人が好きです。

 

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跳んで初めて、手にできるもの

今日もブログで、思考の整理。 

普段頭の中で何となく考えていることも、文字にしていくと、自分の考えの浅さと、表現力の無さが浮き上がってきます。書いては消す、の繰り返し。いつかもっと、サクサク書けるようになれると信じて、書く日々です。

 

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さて今回は、選択に迷ったときの自分の思考を、ちょっと振り返ってみます。

仕事に限らず、普段生きていても、僕たちはたくさんの選択肢と向き合っています。

 今日は何を食べるか。

 何を着て出かけるか。

 休みの日の、時間の使い方。

 お金の使い道。

 住む場所。

 職業。

 付き合う相手。

その場その場で、常に"何か"を選んでいて、逆に言うと、"それ以外の何か"は選ばないことで、僕らは次への行動を決めています。

 

では選択肢を前にしたときに、問われている力って何なのか。緊急時に、素早く行動に移るためには、どんな力の鍛え方をしておけばいいのか。

 

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力として思い浮かぶのは、「判断力」と「決断力」です。似てるようですが、微妙に違います。 

 判断:物事の真偽・善悪などを見極め、それについて自分の考えを定めること(デジタル大辞泉

 決断:意志をはっきりと決定すること(同上) 

端的に言えば、分析・評価をする力が「判断力」、意思決定をする力が「決断力」。

 

例えば、何かトラブルが起きた時を想定してみます。やっぱり、自分の仕事がリアルでしょうか。簡単に頭の中をトレースすると、

「今の状況はこう。クリアすべき課題はあれとあれ。足りているリソースと不足しているリソースは、これとこれ。解決策としては、AとBが考えられる。でも、コストと関係者へ影響が抑えられるのはAだな…。」

こんなにサクサクいかないものですが、基本はこの思考が、判断です。

判断力を磨くポイントは、いかに状況を俯瞰して見られるか、そして選択肢のメリット・デメリットを冷静に評価できるか。客観性が求められます。

 

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一方、決断は、この判断を元に、主体的に下すものです。つまり選択肢から実際に選んで、行動に移すのが決断です。

 

僕が仕事をしていて気になるのが、判断しただけで、決断できない人。「上司の判断を仰いでいる」とよく言いますが、実際には分析・評価のフォローをしてもらう以上に、「上司の決断を仰いでいる」(=決断はお任せ)状態が、よくあるように思います。

これは案件や組織文化によって裁量権も変わるので、一概に言えません。しかし決断をしない癖が身についてしまって、決断をすべき状況に置かれても決断できない人って、結構いるものです。

 

決断には、正解はありません。ローリスクのAではなく、コストも掛かり、関係者への影響範囲が大きいBを、敢えて選ぶ手もあるかもしれません。

その影響の大きさが、別の効果をもたらすようなアイデアを加え、Bを実行に移す。コスト以上のリターンを、結果として狙う。これが決断です。

(逆にAはBに比べてリスクが無い分、リターンも少ないかもしれない。それでも尚、Aを選ぶならば、それもまた決断だと思います。)

大切なのは、「自分で決める。」という姿勢。これに自分で決断した経験が積み重なっていけば、いざという時も、素早く決められるようになるものです。

 

決断には、判断からの、何らかの飛躍が求められます。

もちろん、失敗もつきもの。怖くなるのは分かります。

けれど、判断(=分析・評価)してばかりでは、人は成長できないと思うのです。最後は、「えいやっ!」と自分自身で跳んでみる。跳ばないと分からないことも、たくさんあります。もし失敗したら、命がある限り、やり直し続ければいいと思います。

 

「最後は、自分で決める。」

 

僕の、最近のテーマはこれです。

 

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